希望の光 〜東日本大震災〜

3月11日 自分は、大学にいて、ゼミの仲間と今年度のゼミ運営につい

て話していた。そんな時起こった大きな地震。自分は池袋にいたため東

北地方ほど大きな揺れではなかったけれど、新潟中越地震の時に経験し

た強い揺れを思い出した。それから大学は、余震の危険があるので、室

内から追い出された。外にいる間も何度も余震があった。

都内の電車は、すべて止まったために大学の大講義室で過ごすことにな

る。大画面からは、被災地の情報が流れ、次第に今回の地震の深刻さを

理解できた。「過去最大の地震」など不安なテロップが、どのテレビ局

も並んでいた。その後は、大学近くの友人宅に泊めてもらうことになっ

た。夜も眠れずにいた。深夜3時 新潟でも震度5弱 長野北部も・・・

テレビからは、緊急地震速報が鳴り響いた。

12日も友人宅で過ごした。ずっとテレビを見ていた。すさまじい津波

害。原発に事故。泣き叫ぶ人々。本当にテレビから流れてくる地震の被

害に言葉を失っていた。無論、学生は、何もできない。ただ、家でテレ

ビを見て祈ることしかできなかった。

「何かできないか。」

テレビを一日中見ていて、そう思うようになった。

信頼できる友人に「学生でも何かできることは、ないか。」と相談し

た。夜電話で話した。元々行動力のある友人だった。

13日 その友人は徹夜で企画を作り、次の日に学生20人を集め街頭募金

をしようとしていた。自分もその活動に参加するため朝早くから友人の

もとに向かった。

自分が到着した時、その友人は、大粒の涙を流していた。

市役所や警察から街頭募金の許可が下りなかった。学生だけでは、急に

街頭募金をすることは、不可能。募金を利用した詐欺行為も発生してお

り、しょうがなかった。

「せっかくこんなに集まってくれたのに俺が、しっかりしてないせい

で、何もできなかった・・・」その友人は、そう言いながら泣いてい

た。

確かに何もできなかったけど、わずか一日で手作りの募金箱などを作成

して、20人もの大学生を集めた友人の被災地を救いたいという「想い」

と「行動力」に自分は、頭が上がらなかった。

同じ学生なのに、こんなに真剣に取り組み、行動を起こせる学生達がい

ることを知った。

確かに今回何もできなかった。

学生が企画する募金なんて無駄。 たかが知れている。

確かにそうかも知れない。

でも、被災者の人々を救いたいという「想い」を持ってこんなに真剣に

取り組む学生がいる。悔し涙を流した仲間がいる。

こういう学生がいることが、日本の希望の光だと強く思う一日だった。

被害は、今も広がっていて、テレビでは、深刻な様子が伝えられてい

る。海外メディアは、「日本最悪の日」とすら報じている。

でも、希望を捨てないで前を向いて歩みたい。

こんなに真剣に涙を流して被災者を考え動ける学生が日本には沢山い

る。

希望の光は、きっとあると思う。そして、自分もその友人に負けないよ

うに頑張りたい。

その後、新宿駅で、日本財団NGOが街頭募金のサポーターを募集して

いるのを知りその友人達とそのNGOの方々と街頭募金を行った。

50人を超える学生たちが声を枯らして、募金を呼びかけた。

自分もあまり普段大きな声を出さないけれど、いつの間にか大きな声で

叫んでいた。 「被災者の方々への募金をお願いします。」

多くの方々から募金を頂き、日本財団を通して、被災地に寄付金として

送る。たった二時間の街頭募金活動だったが、40万円もの金額を集める

ことができた。学生達に疲れは、なかった。

今日集まった学生たちは、皆、自主的に集まってきた。

声を枯らしながら頑張る学生達こそが、希望の光となる。

自分もそうなれるように日々頑張っていきたい。

様々な人の「想い」を感じた一日だった。

都内でもできることはきっとあるはず。

できることを無理をしないでできる範囲で一人一人が、やっていこう。

こんな時だからこそ、未来を担う学生達が、頑張らなくちゃ。

そんなことを感じた三日間だった。 

被災された方々に大きな希望の光を灯せるように頑張る。

今まで何度も立ち上がってきた日本。

僕は、今年21歳になる。

これからの日本を担い、被災された方々に大きな希望の光を灯せるよう

に頑張る。それが自分にできることだから。壊れてしまったものもある

けれど、僕たちが未来を創らなくちゃいけないから。

何かもしできることがあればできる範囲で募金活動など手伝いたいんの

で、コメントなどください。